Spirituality_Message of Sora-ni.com 南青山ヒーリングテラス空


南青山 ヒーリングテラス 空

心のことば

私はなぜ、生まれてきたのだろう
なぜ、目的が見つけられないのだろう
なぜいつも、孤独を感じているのだろう
自分自身を愛するとは、どういうことなのだろう

そう感じている方へ 私は、お伝えしたいことがあります。

私の良いところはどこ?
自分らしさって?
何を基準に歩めばいいの?
何を信じればいい?

それを知りたい方へ
私は、お伝えしたいことがあります。

得体の知れない、悲しみが、不安が、さみしさが
そして怒りが、あふれていませんか?

そんな自分から変わりたい方に
私は、お伝えしたいことがあります。
私は守られている
私にはやるべき使命がある。

そう信じている方へ 私は、お伝えしたいことがあります。

自分自身を知り
自分自身を信じ
自分自身の力で
自分自身の望む現実を
自分自身の人生に責任を持って 生きていってほしい。

そのために
私が信じる真実をお伝えしていこうと思っています。

「自分自身の中にすべてはある」 ということを
お伝えしてゆきます。

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Message 1

関係性の間に真実はみえない

message_001.jpg私たちは
お互いの関係性の間に真実があると思っています。
お互いが真実が見えている。
努力すれば真実が見えると思い込んでいます。
ある男性がセッションを受けにきてくださいました。
その男性は「男性が好きだ」ということで
親や社会には受け入れてもらえず
友人にもそのことを話してよいのか・・・


顔色をうかがって生きてきました。
だから私は人とのコミュニケーションができないのです・・・と
嘆いていました。
彼はきっと私なら
それを「大変だったね・・・」
そう受け入れてくれるとおもったのだと思います。

しかし私は
その彼に対して
「私もあなたのことはわからないよ」
そう伝えました。
「なぜなら、私は女性が好きだから」
「あなたもわからないでしょ?女性が好きだと想う、私の気持ちは・・・」
私たちは
「あなたのことを、こんなにわかってあげてるのに!」
などと思ったりもします。
「なぜ昨日はこう言っていたのに今日は違うことを言うの?!」
などと思ったりもします。

私たちは本当に
相手のことをわかっているのでしょうか?
子どもたちにむけては
「みんな個性が違うのが、すばらしいのよ♪」などと
お話ししているように
私たちはみんな価値観が違うのです。
野菜好きの方にたいして
「松坂牛が好きなんだ!」
そう話しても、わかってはもらえないと思うのです。
でも、私たちは愛があります。
ですから、思いやりという反応として
「あなたを わかってあげた」
そう感じるのです。
相手のことが見えたのでもわかったのでもないのです。
ふたりの間の真実
どんな関係だろうと
「関係性の間に真実はみえない」
私はそう思います。
親であろうとパートナーであろうと。。。

でも
一方通行かもしれないけれど
愛し合うことはできると思います。
お互いが思いやることによって。




その言葉を使うとき
私たちは知らず知らずに
愛し合うことが愛だと思っています。

愛は一方通行でも愛なのです。

その真実に気がつくと
周りから影響を受けず
ひとを愛することができます。

見返りがない
思いやるという愛が。

私は、
その男性が好きな彼にたいして
「あなたのことはわからない」
「でも私の友人の、男性が好きな男性を感じていると、
私のように異性を好きだという人よりも

もしかしたら・・・ほんの少し・・・

あなたの“愛と思っていること”のほうが
私の“愛と思っていること”よりも
純粋な愛に近いのではないかな・・・
そう感じることがあるんだ」

そう告げました。

「異性を好きだという欲求には肉体的な興味もあると思うから。
同性同士でも もちろんそれはあるけれど・・・
同性の場合は、自分自身がその肉体をすでに持っているわけだから。
その肉体のことがわかっている、そして同性としてわかっている分・・・
ほんの少しかもしれないけれど・・・
純粋な愛に近いんじゃないかな・・と。」

そう彼に語ることが
同情するすることではなく
今の私の最大限
彼を認めてあげること。

そのままのあなたでいいのだよ
と存在を認めてあげることなのだと
そう思うのです。

それが今の私にとっては
ジャッジのないフラットの状態だと感じています。

私たちは
真実を見ていたい
正しくいなければならない!

そう刷り込まれて育ってきました。

正しくいようと思っても
真実は見えていないんだ
真実は共通ではないのだと
意識してみませんか。


Message 2

認めてほしい

message_02_01.jpg私たちは
認めて!認めて!私はここにいるの!
そう叫びながら生まれてきます。
私たち人は、親に守られなければ
生きてゆけない状態で生まれてきます。

そこに私たちの“環境”は

「これをすれば、誉めてあげるわよ」
「こうなれば、人生は楽なの」

そういって、様々な価値観を植え付けてゆきます。


認めてほしい・・・


その欲求が
すべての行動・言動に現れていることに
気がついてみてください。

「友人が来るから、部屋を片付けよう」
ただ日常のその中にさえ
「認めてほしい」があることを気がついてください。
一杯いれたお茶にさえ・・・
会話で相手に話を合わせた瞬間にも
相手の話を聞き流した瞬間にも・・・

こうしてブログを書く、コメントを書き込む・・・
そのことにも「認めてほしい」・・・
それは隠れています。

それに気がつくことができたなら

私たちの価値観・思い込みは大きく変わってゆきます。

今まであなただと思っていた個性すら
違うことに気がつきます。


そういう目線で感じてみてください。


ただ“気がつくだけ”で良いのです。

否定することではありません。
絶対に責めないでください。

見つけられるようになっただけなのですから。

それに、あなたが認めてほしいと表現する行為自体は
決して悪いことではありません。
ただ余計な感情が入っているだけなのです。
その行為には、
私たちの大切な本当の個性 “魂のエッセンス”が現れています。

“承認欲求”
それがただ、そこにあることに気がつくことができたなら
そしてやりつづけながら、気がつくことができたなら
それはだんだんと薄くなってゆきます。
意識から消えてゆきます。
気がついているのですから。

そこに、あなたの本当の個性 “魂のエッセンス”が現れています。

そしてその先に
認められようとすることの
無意味さに気がつけることでしょう。



私たちの価値観はさまざまです。

下手な例ですが・・・
お肉好きの方が「この豚はトウモロコシを食べて育ったんだよ」
そう言ったとします。
それを聞いた野菜好きの方は、トウモロコシを中心にその話を受け入れます。
私たちは共通の認識を持ったからといって
話が合ったからといって
同じ目線で同じ立場でとらえてなんていないのです。
お肉好きの人が野菜好きの方に対して
宮崎の牛肉が好きだと言ったところで
野菜好きの方々は、そのことになんとも思っていないのです。

そして、承認は相手の気分でかわります。
気分が良ければ「よくがんばったね」と心からいい
悪ければ「そうなんだ・・・」と流してしまう。

あなたもそういうところ
あるでしょう?


さらに、承認欲求を手放すことができたなら
周りからの影響も受けない
自分自身として生まれ変われるのです。

上司がそして彼が彼女が・・・

強い口調で何度も何度も
あなたのことを罵ったとき
ただ
彼らの中に、
「認めて!認めて!私はここにいるの! 」
と泣き叫んでいる赤ちゃんを見つけてください。

「なぜ私が言ったようにしないんだ!」
そういう上司のなかに
その赤ちゃんを見つけてください。

それを馬鹿にするのではなく
ただ見つけてください。

そして“言われた通りに”やってあげられるのであれば
やっておあげなさい。
でももし、
自分らしく生きたいのなら、
「私」を表現してください。



昨日書いた「関係性の間に真実はみえない 」
そこに登場する彼のように
認めてほしい・・・その想いから
私たちは自分自身を表現しないで生きてゆくのです。

自分自身を表現しないことが・・・
相手に合わせることが「美徳」だと考えるのです。

しかし、その先にあるのは
「私のことをわかってくれない」そう想い続ける人生でしょう。

自分のことを表現しないで
相手がわかってくれるはずなどないのですから。
「関係性の間に真実はみえない 」のですから。







私たちは“認めてほしいという欲求”に振り回されています。

ほとんどの瞬間
ほとんどの人生が
その欲求に導かれています。

自分自身を信じて生きてゆくために

“認めることができない”ことを
認める必要があるのではないでしょうか。

そう心の底に
“腑に落とす”必要があると思います。


その「認めてほしい」その価値観が無くなっていった時
私たちは自分自身の“魂のエッセンス”本当の個性に気がつけるのです。

すべてのひとが
すばらしいものをすでにもっています。

信じてください。

そして
毎瞬毎瞬
感じてみてください。


Message 3

魂のエッセンス

message_03_01.jpgエッセンス
自分のエッセンスってなんだろう。

エッセンスってねたとえば
バラの写真を見ても
バラの香りははっきりと思い出せない。
でも バラの香りをかぐとバラの形は思い出せる。
そんなとき バラのエッセンスは「香り」

一つのことがすべてを言い当てるような
自分の中心にあるもの。

自分のエッセンスってなんだろう。

何百回と生まれ変わろうとも元々の魂のエッセンスは変わらない。

どんな職業につこうと
男・女・どちらの性になろうとも
エッセンスは変わらない。

ゲリー・ボーネルのもとで学んでいた時のこと
ゲリーが、そのエッセンスを感じる時間をくれた。

友人が 
自分のエッセンスがわからない・・・
感じられない・・・
立ちすくんでいる彼女にゲリーが言った。

あなたのエッセンスは「与える」
そう思うよ^^

彼女は、その日から自由になった。

いままで
「なんで私は、ひとのために、やりすぎてしまうのだろう」
「なんで私は、ひとのために動いたら疲れてしまうんだろう」
「私は、自分に価値を見つけたくてひとに何かをしたいのかもしれない」
「それは私のエゴかもしれない」
「良い子でいたいだけかもしれない」
「周りを気にして生きているだけかもしれない」
「おしつけちゃいけない・・・迷惑かもしれない・・・」
「ひとりが好きだし・・・疲れるし」・・・

自分自身を知ろうとすればするほど、
彼女は自分を否定してきた。

そんな思いから
押さえつけていた感情。


彼女は、その日から自由になった。

「与える」ことが 自分なんだ。
いちばん自分らしいことを すればいいんだ。


「私のエッセンスは「与える」なの。元々の魂が持っているものなの。
 だから 与えていいの!」

自分が嫌だと思っていた自分がすばらしいのだと気がついた瞬間。

彼女の意識が拡大したことをともにいた全ての方が感じた。
大きなエネルギーを感じた。

今 彼女は 輝いている。
まったく違う自分になっている。
自分を知った。

ゲリーは 付け加えた。

「独りでいることを 悔いてはいけないよ
 与えれば疲れるのだよ。
 あなたは休んでいるんだ
 自分らしく また 与えることができるように」

「魂のエッセンス」

私たちは400回前後の地球での転生(生まれ変わり)をしていると言われています。
私たちは何のために生まれてくるのか・・・

それは、自分自身の「魂のエッセンス」を確認するため表現するためだと感じています。

人生に起こるたくさんのイベント
それをひとつひとつクリアするときに
私たちは「魂のエッセンス」を感じ確認するのです。

それが、ある意味「人生の目的」なのです
大学に行くためでも
結婚をするためでもないのです。

あなたのその優しさや愛、そしてあなたの本当の個性
自分自身で知るために生まれてきたのです。
それを持っている自分に気づき
表現するために生まれて来たのです。

イベント
日常たくさん起こるイベントは、
すべて、あなたの自分自身の魂(心)のエッセンスを知るためにあります。

自由を体験するためには不自由な環境に生まれるのです。
自分自身の優しさを知るためには、優しさを受け入れてくれる人よりも
やさしさを受け止めてくれない方のほうが必要です。
受け入れてくれない方にも優しさを与えられること
それを自分自身で気づくことができたなら
見返りのない魂の資質に気がつくのです。

あなたの個性とは許可されるものでも
承認されるものでもありません。

あなたの個性はいちばん内側にあります。

何を持っているかが個性でもありません。
変わった話が出来ることが個性でもありません。
知識が広いことが個性でもありません。
楽しい話ができることが個性でもありません。

そのやさしい心やその愛なのです。

思いやってはうらぎられ思いやってはうとまれる。
そのやさしい心なのです。

そのやさしさに気がついたとき
あなたは本当の自由に気がつきます
ただ“私は”を表現するだけで
あなたが満たされるのです。

何度も言います。

自由をしるためには不自由が必要なのです。
すべてのトラブルはあなたのエッセンスを感じるためにあるのだと。

感じてみてください。
自分らしさって・・・
なんなのかを。

あなたはすべてを もっています
そして、
あなたはすべてに 気づいています

あなたの魂の真の個性「魂のエッセンス」

何百回と生まれ変わろうとも「魂のエッセンス」は変わらない。

あなたも、あなたを知りたいと思いませんか。

Message 4

価値観

message_04_01.jpg私たちは価値観というものを持っています。

その価値観は「その価値あるもの」にだけフォーカスをあてることをします。

好きなものにしか興味がいかないのです。
目に入らないのです。

ひとは それぞれの価値観というフィルターを透して環境や相手をみています。
そのフィルターを通して見えた物しか認識できません。

あなたと私がレストランに行ったとします。
テーブルに並んだ料理
あなたは、そのすべてをほんとうにちゃんと見ていますか?

私はお肉が好き。
あなたは野菜が好き。

私は「肉が好き」という価値観を通して
お肉の焼き加減や産地・お肉の種類などににフォーカスします。
あなたは「野菜が好き」という価値観を通して
野菜の種類や鮮度・無農薬化どうかなどに
注意をはらいます。

私は焼き鳥の串に刺さったお肉の種類を理解しています。
でもサラダのドレッシングには興味も持っていません。

あなたは、焼き鳥があるな。と串に刺さった焼き鳥を
漠然とイメージしていることでしょう。

それでも同じモノを見ていると言えますか?
関係性の間に真実はありますか?

ふたりで映画を見たとしましょう。
「私は○○のシーンが好きだわ」そう伝えたとき
彼に「え?そんなシーンあったっけ」
そう言われたとします。

私たちはそれだけで傷ついたりします。
傷つかなくてもちょっとがっかりします。

価値観が違う
だから見ているところ、印象に残ったところが違う。
ただそれだけなのに
自分自身を否定されたように感じたり
認めてくれなかった・・・と思ったりします。

前にも書いたように
“関係性の間には真実は見えない”けれども
そこにはちゃんと、真実はあります。
テーブルの上にあるのです。

でも私たちは、価値観がある以上
すべてをしっかりと認識することが出来ないのです。

私たちには「愛」があります。

その愛と思っているものによって
私たちは相手を知りたいと思います。
相手と同じだと思いたいのです。

それはすばらしいことです。

でも、そのために
「愛」とは受け入れることだ相手に合わせるものだ
お互いが合わせるものだ...そう信じることは危険です。

相手に合わしてしまう受け入れてしまう行為は
自分自身をどんどんどんどん見えないようにしてしまいます。
自分の“魂のエッセンス”とは全く違う価値観をつけてゆくことになります。

彼が好きならお肉をもっと真剣に見よう
お皿のことにも、もっと詳しくなろう。
そうしてすべてのことに意識を向けることも
テーブルの上の真実を見るためにはいい手段かもしれません。
しかしテーブルの上は理解できても彼のすべてを知り尽くすことはできないのです。
この人生をかけても、知り尽くすことはできないでしょう。

テーブルの上の真実を知るとは
すべてを真剣に見てゆくことではなく
“お肉しか見ていなかった!”と気がつくことなのです。
そうすれば冷静にテーブルの上を見渡せることでしょう。

私は“お肉しか見ていなかった!”と気がつくだけなのです。
その瞬間に価値観は外れているのです。
その瞬間に、テーブルの上の真実は目に入っています。

がんばる必要はありません。
私が“そらの会”でたくさんの話をする理由

そこには、あなたが価値観を外そうなんて頑張らなくても
外れるのだという証明のためでもあったりするのです。

私が言っている言葉に
「そうかも・・・」と思った瞬間に価値観は外れます。

そしてその後に起こるイベントには
今までとは違う反応を返せる自分に気がつけます。

反応が変われば、人生は動き出します。

そんな単純なことなのだと気がついてみてください。

反応を変えてみてください。
その後のイベントの変化によって思い込みは手放せるでしょう。

そして、ぜひ“イベントを起こす”選択をしてください。
イベントを起こすということは“恐れ”を手放すということ。

恐れを手放すことによって
あなたのほんとうの人生が動きはじめるのです。

もしあなたが、真実をみたいのでしたら。

Message 5

葛藤に導いてもらっていませんか?

message_05_01.jpg人私たちが、エネルギーを注ぎ込んでいる「葛藤」

そのエネルギーが膨大な膨大な量であることを知っているのはあなたです。

そこにエネルギーを注ぐ以上やりたいことは見つかりません。
なぜなら二つから選択しようと思っているのですから。
可能性は無限だというのに。
そして、その葛藤をしているかぎり
見つけても、注ぐエネルギーなど残っていません。

「これがしたい!」
でも
「お金がない・・・」

これをグルグルと繰り返したとき
あなたに何か・・・生まれてくると思いますか?

あなたが今やるべきことはグルグルと回すことではないことに
そろそろ気がつきませんか?

「したい!お金がない」
「伝えたい!言い出せない」
「やめたい!やめられない」

それは「したい」けど「できない」ただそれだけなのですよ。
思い続けても、何も変わらないのですよ。

新しいものや勇気はそこから生まれないのです。
そして行動もしていないのに「望む現実」が表れることもないのです。

そこには必ず“恐れ”があります。
そのことに気がついてください。

私たちはただもやもやとした状態で動こうとします。
もやもやとした“恐れ”を手放そうとします。

ここで断言をします。

“恐れ”は、手放すことはできません。
恐れているのですから♪

恐れを手放すというのはどういうことか。
それは“やる”ということです。

“何に恐れているのか”具体的に自分自身を知り
そのテーマに向かい合う。
“やる”という選択をするということです。

もやもやとした恐れ
その状態ではやることはできません。
自分自身が何に恐れているのかを見つめてください。

私たちは「やるか、やらないか」しかありません。

たとえば水を飲むとします。
その水は、グラスに手を伸ばし、握り、口に運び「飲む」
それとも手を伸ばすこともせず「飲まない」
その二つしかないのです。
当たり前ですよね♪

しかし私たちは
グラスに手を伸ばし、握り、顔の前で止まったままの状態でいたりします。
日常の多くがその状態です。
さすがに水を持ったままの方はいないとは思いますが。。。
そんなあり得ない状態を私たちは続けているのです。
気がついていますか?

それその状態は
「やりたい」という状態です。

飲めばいいのです。これは手が疲れます。

「○○○○したい・・・」
なぜその状態なのでしょう。

水ならば毒が入っているそう思っているから
飲まないのでしょう。

ということはどういうことか・・・

「やりたい」は恐れている状態。
自分自身が「できないと思っている」「条件が揃っていない」と
思っている状態なのです。

それに気がついてください。

私たちは「やりたい」という想いを
「やる」のすぐ近くにあると思っています。

もうすこしで叶うのではないかと期待をしています。
そして動かずに待っていたりもします。

しかし「やりたい」は恐れている状態なのです。
それは「やらない」そう決めた時と同じ状態なのです。

「やりたい」は、自分自身で
「やらない」と選択したことにほかありません。

それに気がついてください。

しかし、私たちの選択に「間違った選択」は存在しません。

「やりたい」と思って動かないということは
「やらない」と決めたんだな。私は。

それを理解すれば良いのです。
責めることではありません。

それを認めて受け入れる。
そうすれば、どうしてもやりたければ
「やる」というエネルギーがわいてきます。

そのときはじめて私たちは
恐れを手放し「やる」ことができるのです。

葛藤はこのやりたいという状態です。
ただただエネルギーの消耗です。

人生の導き手としてみなさんが依存している「葛藤」を
手放したとき毎瞬毎瞬、クリアな状態で自分らしい選択を続けたとき

歓びの中、歩んでゆけます。

葛藤の中にいることを誰かのせいにしないでください。
何かの言い訳を探して自ら葛藤を選ぶことをやめてください。

今、時代は動いています。
激しく早い動きを始めています。
その時代に生きる時私が思う一番重要なこと。

葛藤を創る選択をしないでください。
これからの人生。

いままでの人生は
葛藤だらけの人生だったことでしょう。
私もほんとうに葛藤だらけでした。

だからこそこれからの人生。
葛藤をふやさないでください。

そして少しずつ少しずつで結構ですから
葛藤を減らしてください。

そこには、ほんとうにあなたらしい人生が待っています。

ほんとうの意味で他者に与えることのできる
人生が待っています。

葛藤をふやす選択をしないでください。

Message 6

ドラマ化を止めてください

message_06_01.jpgドラマ化をやめてみませんか
あなた自身を苦しめているものは
あなた自身だということに気がつきませんか。

悲しませているもの、怒らせているものはほんとうに相手なのでしょうか?

相手は本当に、悪いことをしていますか?

相手は本当にあなたを苦しめようと意図を持って行動しているのでしょうか?

あなたが、あなたの中のドラマ(思い込み)を止めた時
相手も、あなた自身も解放されます。
苦しみは、そこにはないのです。


相手からの連絡がこなくなった。
相手が目をあわせなくなった。
相手が自分のことばかり話している。
相手が相手が・・・大切に思ってくれていない。

ほんとうにあなたが思っているようなことなのでしょうか。

私たちはどんなドラマの中にいるのでしょう。

私はお金を稼ぐことが幸せだと思っていました。
自分が家族を養わなければならないと思っていました。
金銭的に余裕があるから与えられるのだと思っていました。
趣味があることが幸せだと思っていました。
人とは違うことをしたいと思っていました。
肩書きがほしいと思っていました。
特別なことができることが成功だと思っていました。
仲間とは慕ってくれるものが仲間だと思っていました。

自分一人で生きてゆく。

そう幼い頃に決めたことが私のドラマを造り上げました。

そのドラマを持っていたことによって
大人になった私は、真実を知りました。

でも、そんな私にも良いところもありました。
これだけは知っていました。

親に頼っていては、生きていけないことを。
自分自身の人生に責任をもたなくてはいけないことを。

私が子どもの時に、すでにこのことに気がついていたように
みなさんも、私が気がつけなかったことに気がついて生きて来たことでしょう。

何に気がついているのか、気がついていないのか・・・
そこに正しいも正しくないもないのです。

私が貧しく育ったことで気がつけたように
みなさんはみなさんの環境で気がついているのですよね。

みなさんの気づきとまったく同じ気づきは私には訪れない。

同じドラマも存在しない。

さらには
相手の魂のエッセンス(本当の個性)が
「自由」だったとします。

あなたの魂のエッセンスが「与える」だったとします。

「自由」の方は「自由」を表現することを
意図も無く行動してゆきます。

「与える」の方は「与える」を表現することを
意図も無く行動してゆきます。

自由を表現している方からすれば
与えるを表現している方を見て
なぜそんなに他人に気を使うのだろう・・・
そう煙たく思うでしょう。

与えるを表現している方からすれば
自由を表現している方を見て
なぜそんなに自分勝手なのだろう・・・
そう煙たく思うでしょう。

しかしそれは、本来のすばらしい個性

だれかが、ジャッジ(裁く)ようなことではないのです。

お互いを認め合うこと
そして自分の価値観で相手をみないこと
勝手なストーリーを創らないこと。ドラマ化しないこと。

ほんとうの素敵な関係とは相手に合わせて
自分を変えることではないのです。
さらには同じものを持っていることでもないのです。

そのままを認め合うこと。

私の感じる“パートナー”とは
共鳴できる繋がりのことだと思っています。

それぞれの歓びを表現できること。

たとえば私が、日本全国を廻って
私が信じる“真実を伝えたい”と願います。
そして伝えた方々が前に進んでいただけたなら
私はそこに歓びを感じます。

もし、
“みんなの笑顔を見たい”
“たくさんの方を元気にしたい”
そういう想いがある方が
たくさんの方々を集めてくれたなら・・・

そこで私が、私を表現して
みなさんが歓んでくれたなら・・・

集めてくれたその方も、大きな歓びになるでしょう。
それこそが“真のパートナーシップ”なのだと思うのです。

お互いが、お互いのために自分自身を表現できること。

その素敵な関係の中には
“ジャッジ”裁くことも
相手を変えようとする気持ち“コントロール”も
相手にこうしてほしいという“期待”も
存在しません。

すべては“私は”を表現することからはじまります。

あなたがもしパートナーが欲しいのであれば
“私は”を表現してください。

そのために自分自身を見つけてください。

本当の“私は”を歓びの中表現できるように。

Message 7

過去は変えられる

IMG_3076.JPG*そらの個人セッションを受けた方のmixi日記より


実家で「そらの会」を開催することができました

ギリギリまで出席できるか心配していた姉でしたが、
結局は、前日から実家に帰省してくれました。

姉は、人目が気になり、たくさんの人に逢うのは辛いという状態だったので、
家族だけのプライベートな「そらの会」になって良かったんだなぁ~と
思います。

ご報告が遅れましたが、
遠方より来ていただいた
そらさんには心から感謝します


「姉にそらさんのお話を聞かせたい」

それが、そらの会をそらさんに依頼した動機でした。

でも、何よりも私がそらさんを必要としていたんだということに
気付きました。

姉は、それを手伝ってくれたんだと思います。

バラバラになっていた家族は、
私自身が作り上げたものかもしれない。
今、再び、こうして家族みんなで集うことができて
嬉しくて仕方がありません。
身近な存在こそが、自分の学びや幸せに繋がっていることに気付きました。

今までの私は、いつも自分の都合が悪くなると別の場所に逃げていました。
けれども、これからは、目の前にある現実と向き合って生きていこうと
思います。

そう思えるようになった今、私は、幸せで仕方ありません。

ありがとうございます






「過去は変えられる」と
ヒーラーとして生きていらっしゃる
そらさんは断言されました。

「そんなはずはない!」
まず、その言葉を聞いて、私は思いました。


私は、自分にとって辛かった思い出を
そらさんにお話しました。
その後、私の辛かった過去は素晴らしい過去・・・ギフトに変わりました。

お力添えをしてくださった
そらさんには、心から感謝いたします


以下、私の個人的な体験とそらさんのお話を交えて、ご紹介してみますね。



☆姉について

 私の姉は、10年程前から精神を患っています。
 様子がおかしくなった当初は、嫁ぎ先から実家に戻って様子を
みることになりました。
 私は、当時、感銘を受けた本を姉に紹介したり、自分なりに手紙を書いて
なんとか元気になってもらおうとしました。
 父は、草木をじっと眺めたり、電柱を登る姉の後を怪我を
しないように心配しながら、ついてまわっていました。
 布団で寝たきりになった際には、そのまま大や小を垂れ流したのを
母が始末していました。

姉の奇行を見る内に、いつしか私は、30歳を過ぎて両親にやらせることかと
情けなく感じるようになりました。
 そして、ある日の早朝、行方不明になり、実家近くの溜池の中で
手を合わせてブルブルと震えながら念仏を唱えている姿が発見されました。
 それから、精神病院へ入院しました。

 その時、私は、今後一生、自殺未遂をした姉がいると世間から
見られてしまうと思いました。
 そして、何よりも大切な思い出のつまった故郷を
汚された気がしました。

この話をそらさんにした時、
「あなたはお姉さんから何の危害も加えられていないじゃないですか?」
それから、例え話として・・・
「人を殺した息子を持つ母親の気持ちが私(そらさん)よりも
分かるんじゃないですか?それって物凄い経験だと思いますよ。」


肉親がどうであろうと

周囲がどう思おうと

私は私でしかない。


その言葉を聞いて、今まで私が辛いと感じていた過去の感情が
溶けていくようでした。

そんな見方ができるなんて・・・。

私の過去が確実に変わった瞬間でした。
事実は変えられないけれども、感じ方、捉え方を変えるだけで
過去はこんなにも素晴らしく変化するものなんだと知ることができました。                 


☆母について

私の母は、私が中学生の頃から現在まで、「真如苑」という宗教を
信仰しています。
そして、10年以上前からは、脳卒中で失語症になった父に代わり、
お金の管理をするようになっていました。

母は、私が結婚をする際、随分とお金を使ってしまいました。
昔、父から聞いていた私の結婚資金の積み立てや貯金も
なくなっていました。
親戚からもらった結婚のお祝い金や結納金も使い込んでしまいました。
兄と私が問いただしたところ、
「何に使ったか分からない。覚えていない。」と言いました。

私が32歳の時でした。

お姉ちゃんの時は、1000万位使ったって聞いてたのに・・・

お金よりも、両親が自分の結婚のためにしてくれることが
何もなかったということが、一番のショックでした。

幼い頃のことならまだしも、この年になって、この仕打ちは辛かった・・・。

自分が、とても惨めで、可哀想で仕方ありませんでした。


この話を涙ながらにした時、そらさんは、
「お母さんには愛情がないと思った方がいい」とおっしゃいました。
「ええっ?!愛情がない!」
さすがに、そこまでは思えなかったので、私は驚きました。
すると、そらさんは、
「お母さんなりの愛情は、あると思いますが、あなたが求めるような
愛情を与えてはくれないと思った方がいい」と付け加えて、
説明して下さいました。
そして、
「あなたは、幼い頃ならまだしも、この年で・・・と言うけれど、
あなた自身もその年で、親に甘えているんじゃないですか?」と
おっしゃいました。

いい年をして、親に何かしてもらおうと思っている事実

本当にその通りでした。

私は今までに、両親に何もしてあげないで自由気ままに生きてきたのに、
親だからって、この年で何かしてもらおうと期待していた自分の甘えに
気付くことができました。

愛情のない人間に
「ちょうだい、ちょうだい」って求めることの虚しさ。
愛情のないと思っていた人間から、もし何かしてもらえたら
ラッキーって思えることの素晴らしさ。


母には母の真実があり

私には私の真実がある

例え、それが親子であっても

同じ真実を見つめることはない

だって、別々の人間だものね☆


母の存在こそが

私の求めるすべて

生きていてくれて

ありがとう

今は心から

そう思えます



日記に対しての、そらの書き込み

 
もうひとつだけ・・・・・最後に


お母さんは
ほんとうにそのお金を
宗教に使ったのでしょうか?


    「絶対に言わない」


その裏に
その方が抱えていることは

わからないのです。


すべてが自分自身でつくり上げたドラマの中にあります。
 
そんな人ではない。
そう信じてみるのも
あなたの人生です♪
 


そらさん
ありがとうございます
コメントを拝見して、涙が出てきました。

不幸な人生は、自分自身が作り上げているのだと
さらに気付くことができました。
今後の人生が、ますます幸せになっていきそうです

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